PHP文庫 「商いの道」経営の原点を考える より



 イトーヨーカドーグループ名誉会長  伊藤雅俊
    
江戸商人の道を示した書に、次のような一節があります。
「商人は冒険を学ばねばならぬ絶えず危険な世界を求めそこに飛び込まぬ商人は利子生活者であり隠居にすぎぬ」しかし、こう言われても、なかなか冒険したがらないのが人間ではないでしょうか。本当に商売の怖さがわかったなら、怖くて怖くて冒険などできなくなるものです。本当に冒険したら、下手をするとあっという間に何十億という損を出してしまうのが商売の世界です。

たとえばイトーヨーカードーは中国に進出しましたが、今はある程度の資金の余裕があるからやれるのです。もし万が一、これに失敗したら百億円台の損は覚悟しなければならないと思っています。しかし、損失の可能性とともに、その裏には、同じ位の成功の可能性があるのも事実です。失敗のリスクは大きい、しかしともかく冒険をしなければ、成功のチャンスを手に入れることができないのです。最初に商売を する人、起業する人の冒険心を考えてみると、それはある種の「狂気」ではないかとさえ思うのです。

松下幸之助さんしかり、井深大さんしかり、そして盛田昭夫さんも本田宗一郎さんも、みんな「狂気」の人だったのではないかと感じます。「狂気」に背中を押されるように、冒険に駆り立てられ、ついに大きな世界にたどり着いた人たちだと思います。こう考えていくと、人間の本来の姿には、冒険をためらい尻ごみする部分と、少しやってみようかと冒険に走る部分とが共有しているのではないでしょうか。

人類の長い歴史を考えると、サルから人間への移行が行われたのは、数匹の好奇心の強い冒険好きのサルが、森という安住の地を離れ、原野に行った冒険者の子孫が人間になり、森にとどまったものは現在でもサルのままでいるというのです。そう考えると、われわれの祖先はみな冒険者ではなかったでしょうか。リスクを恐れず前へ進み、一つ一つの壁をこえることによって、人間という種族になっていったのだと思います。その記憶がDNAに組み込まれているのか、人は時として冒険に走ってしまうのでしょう。

会社が大きくなると経営者も、そこで働く社員も冒険者たる魂を忘れ、リスクを恐れます。これでは会社に生気がなくなってしまいます。生気がなくなった会社は必ず、お客様からそっぽをむかれてしまいます。店内は清潔で、店員の対応も悪くない。並んでいる商品だって良い物ばかりだ。でも、なぜか買う気にならない---そういうお店に行ったことはありませんか。それが生気のない小売業なのです。生気のない商売をするよりも、怖くても冒険心をもとう--そう私は考えるのです。

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